西城秀樹の思い出

西城秀樹さんが、63歳という若さでお亡くなりになりました。

2度の脳梗塞に見舞われながらも、ありのままの姿でステージに立っている姿は、いつも胸が締め付けられる思いでした。

ただ、往年のスターのみなさんのコンサートが今度、来たら必ず見に行こうと心に決めていました。

とても残念です。

 

今日は、東京の青山葬儀場で、告別式が行われたくさんのファンの方が献花に訪れたようですね。

秀樹さん、安らかにお眠りください。

 

私達の世代では、西城秀樹さんは圧倒的な超スーパースターでした。

私もあるきっかけで秀樹さんが好きになり、実際に会ったこともあります。

 

そんなことで今回は西城秀樹さんの個人的な思い出を書きたいと思います。

西城秀樹ファーストインパクト!林くんへの嫉妬

私が西城秀樹に衝撃を受けたのは本人ではなく、友達が歌った「薔薇の鎖」でした。

当時、私は小学校2年生でした。

クラスのお楽しみ会で、林君がモップをマイク代わりに振り回し歌ったのがかっこよくて、今でも印象に残っています。

 

そんな40年以上も前の事ですが、どうして覚えているかと言うと、私もそのお楽しみ会で歌を歌ったからなんです。

私が歌ったのは、なんと中条きよしの「嘘」

お~れたた~ばこの~すいが~らで~♪あなたの~嘘がわかるのよ~♪

という歌謡曲です^^

 

その頃、自宅の2階で毎週日曜日、民謡教室が行われていて、いつも端で見ているうちに、私は演歌や歌謡曲を歌う子供になっていたんですね。

 

林君は一気に女子の人気者になりましたが、私はお母さんたちの人気者になり、悔しい思いをした記憶があります。

それが私が覚えている西城秀樹ファーストインパクトです。

西城秀樹セカンドインパクト!パンダプレイヤーを買う

西城秀樹ファーストインパクトから4年経った小学校6年生。

クラスに好きな女の子ができました。

土田さんという色白で可愛らしい女の子でした。

 

その土田さんがなんと西城秀樹のファンだと言うじゃないですか。

当時、うちにはレコードプレイヤーがなかったのですが、お小遣いでパンダ型のポータブルプレイヤーを買い、秀樹のレコードを聞いたものです。

耳のところがマイクになっていてレコードに合わせて歌えます。

懐かしい~

 

これが西城秀樹セカンドインパクトです。

西城秀樹サードインパクト!憧れのあの娘がなんと

その頃、ザ・ベストテンを始め音楽番組がたくさんあり、秀樹が出てきたら欠かさず見ていました。

始めの頃は土田さんへのアピールだったんですが、私もどんどん秀樹に魅了され好きになっていきました。

 

その頃、ヒットしていた秀樹の曲は、

  • ホップ・ステップ・ジャンプ
  • Y.M.C.A ヤングマン
  • 勇気があれば
  • 俺たちの時代

だったと記憶しています。

 

土田さんと秀樹と共通の話題ができたある日、衝撃的な話を彼女のお母さんから直接、耳にします。

「家で由紀子はいっつも佐藤くんの話をしてるのよ」

マ、マジで・・・もう天にも登る嬉しさだったのを覚えています。

 

ただ、逆に意識しすぎてその後、ぎくしゃくした関係になったような記憶があります。

純だわ(笑

 

直接、秀樹は関係ありませんが、間接的にこれが西城秀樹サードインパクトです。

西城秀樹フォースインパクト!私の人生が変わる出来事

さて、小学校6年生の男子といえば、変声期を迎えます。

家でレコードに合わせ、西城秀樹の歌を歌っているうちに、ちょっとしゃがれた声が、なんと西城秀樹の歌声に似てきたのです!(と思っていた)

 

ここで、その後の私の人生に大きな影響を与える出来事がおきました!

 

当時、紅白歌合戦のちびっこ版の紅白歌合戦の番組があり、毎回、私も楽しみに見ていたものです。

ある日、転校生の同級生が(名前は忘れてしまいました)この番組のオーディションを受けようと誘ってきたのです。

 

早速、妹とはがきを書き応募しました。

 

オーディションは、札幌のテレビ朝日のスタジオで行われました。

そのオーディションに何人、来ていたかはわかりませんが、全国で24,000組の応募があったと新聞で見ました。

 

私が歌ったのは、もちろんその時、ヒットしていた西城秀樹の「ホップ・ステップ・ジャンプ」

運良く1次審査を通って、2次審査では、水谷豊の「カルフォルニアコレクション」ものまねしました。

 

そうです。私は上手に歌を歌ったのではなく、できるだけ本人に似るようにものまねをしたのです。

これが勝利の要因でしょう^^

 

さて、初めての経験で、2次審査まで行った私は、ウキウキして家路に着きました。

 

それから2週間ほど経ったある日、テレビ朝日から電話がかかってきました。

なんと言われたかは忘れましたが「合格しました。○月○日に東京で本番があります。」

 

私は、あまりの衝撃に受話器を持ったままその場にヘナヘナと座り込んだ記憶があります。

 

その後、テレビ朝日で手続きをして、新聞取材を受けました。

テレビ欄の下に大きく掲載されました。

 

東京へ出発するまでは、地元で歌のレッスンに通いました。

家では母親が毎晩、頼んでもいないのに私のレッスンをしたものです。

 

この時、初めて飛行機に乗り東京へ行きました。

西城秀樹フィフスインパクト!生秀樹に

私が出た番組は「ちびっこものまね紅白歌合戦」という番組です。

この年は、西城秀樹が「Y.M.C.A ヤングマン」でレコード大賞を取りましたので、私が歌ったのもオーディションで歌った「ホップ・ステップ・ジャンプ」ではなくヤングマンでした。

「ほしかったんです!!」と言う大賞受賞のヒデキ感激の様子を自分のことのように泣きながら見たのを覚えています。

 

さて、このちびっこものまねのステージで、とうとう憧れの生・西城秀樹と会ったのです!

赤のチェックのシャツにジーパンというラフな格好でリハーサルに現れた秀樹は、背がすごく高くて色黒でちょっとサルっぽいなというのが印象です^^

私と秀樹は13歳違うので当時は25歳だったんですね。

 

すでに私はヤングマンの衣装を着てステージのひな壇に座っていました。

そこへ秀樹がやってきて「かっこいいね!」と笑顔で頭を撫でてくれました。

そこで一気にメロメロです。

 

秀樹はゲストで来ていて、ヤングマンではなく、その次の「勇気があれば」をかっこよく歌って去っていきました。

本番にはもう秀樹の姿はなく、歌は録画だったようです。

 

その時の出演者は、秀樹も含めとても豪華でした。

白組の司会が小松政夫みのもんた

紅組が小柳ルミ子、清水クーコ

総合司会が玉置宏

あばれはっちゃくドラえもんまで来ました^^

 

白組は本当は、レッツゴー三匹というお笑いトリオだったんですが、ハイジャックに会い急遽、変更になったようです。

 

ちなみに当時の写真がコレ。

真ん中でトロフィーを持ったヤングマンなのが私です^^

 

ちなみに右の方にハットをかぶって横向きに立っている人は、松本康司さんと言って、この後、スター誕生からデビューしたロッカーです。

今も現役で歌ってます。

終わりに

ということで長々と個人的な西城秀樹さんの思い出を書かせていただきました。

すっかりいい大人になった私は、スナックに行きますと「傷だらけのローラ」を絶唱します^^

中々ウケます。

 

秀樹のような絶唱型の歌手って最近ではいませんよね。

唯一無二の偉大なスターでした。

 

私の青春は西城秀樹で始まりいい大人になっても未だに続いています。

そのうち私も天国召されましたらもう一度、元気な秀樹のY.M.C.Aを一緒に歌いたいと思います。

ご冥福をお祈りします。